2009年07月01日

午後のエモーション

200810_02_29_b0134829_20231100.jpg昭和61年、この年は僕にとれば悲喜が交叉した年だった。高校入学時の初めてのクラス。僕とは違う中学から入学してきた彼、「シゲキ」とはそのクラスで妙にウマが合った。それからの3年間で「親友」と呼べる仲にまでなった。そして「シゲキ」は行政に就職。「すぐやります課」なるものを発案し、たった一人で奔走していた。休日には突然電話がかかり、「おるか?行くぞ」との決まり文句で、手広く自宅栽培している野菜を届けてくれるのが常。そして僕の結婚式、「いずれ町長になるんや」が口癖だった彼は硬軟織り交ぜての、饒舌な祝辞を述べてくれた。そして61年の年明け、彼から「結婚する」旨の報告を聞き、おまけに、「俺の結婚式でピアノ弾いてくれ」との依頼を受けた。歓喜のあまり即座に承諾するも、選曲に悩んだ挙げ句、二人に捧げる曲を作ってしまえと作曲にとりかかる。彼から恋愛中のエピソードを聞き出し、楽曲のモチーフを作ってゆく。そして出来上がったのが「午後のエモーション」。元ドラムの芝ちゃんがお気に入りの曲だ。そして5月、彼の披露宴で弾き語りをした。そして6月も半ば、彼から「結婚式のビデオ出来てるから観に来い」との連絡を受ける。「ああ、時間空いたら連絡するわ」、それが彼に送った最後の言葉になってしまった。7月1日未明、彼が心不全で突然の他界の一報。すぐさま着替えて軽トラで、彼の自宅に駆けつける。道中様々な彼との思い出が甦り、涙が溢れ前方が見えない。変わり果てた姿を見た途端、膝が崩れ落ちた。そして翌日、彼を見送った。それ以降、7月1日は毎年のように長い長い坂道を上り墓前へと。必ず必携するのは彼が嗜好していたセブンスター。そして必ず1本に火をつけ、燃え尽きる間、彼との思い出を偲ぶ。彼が他界してからしばらくして、未亡人となった夫人から連絡があった。「今頃になって、シゲキさんの高校時代の事何も知らないんです、教えて下さい」と。僕は冷淡だったかもしれないが、それを断った。「高校時代の彼を知っても、悲しみがつのるだけ、気持ちはわかるけど知らない方がいいよ」そう言い放ってしまった。仏事の度毎に憔悴している夫人の顔を見るのは辛かった。そして3年、たった2ヶ月間の新婚生活と、追憶の日々の記憶を抱いたまま夫人は実家に戻った。

7月1日、ほとんど毎年のように墓参している、そして今日も。
「午後のエモーション」、この曲を演奏する時は、恋愛時代を熱っぽく語っていた「シゲキ」の顔が浮かぶ。
レクイエムになってしまった唯一の曲。

「シゲキ」に捧ぐ

午後のエモーション

さまよい歩く午後は 街路樹も冬枯れて
人混みに紛れてみたけど せつなさがにじむ
君を見つけた時も ゆるんだ日ざしの中
寂しげなまなざしになぜか まどろみをおぼえ

出会った頃の君はRAINY DAY
なくした恋を手さぐりしてた
熱い思い見つけた僕は その時からCALLING YOU

ゆきずりの恋じゃないと 呟いたあの日から
とまどいの色忘れ去って 微笑みを返す
いちばん素敵なのは 風に舞う長い髪
はにかんだ横顔にそっと 唇をよせた

きらめく午後の君はSHAINNING DAY
はなやいだ気分 楽しんでいた
甘い時間見つけた僕は その時からCALLING YOU 

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2009年06月27日

巨星急逝

MichaelJackson.jpg衝撃的なニュースが飛び込んで来た。あのキング・オブ・ポップ、マイケル・ジャクソンが亡くなった。心停止についての詳細は明らかにされていないが、あまりにも若すぎる突然死だ。若年時からジャクソン5のボーカルとして、様々な話題を提供し、ゴシップ・キングとも言われた。僕の中での彼のアーティストとしての印象は、わずか14才にして歌った「ベンのテーマ」のインパクトにある。変声期を迎える前の作品で、ボーイソプラノで、ビブラートの綺麗な楽曲だった。WAVEとして彼の作品をカバーした事はないが、ダンパ用に編成されたバンドで「今夜はビート・イット」を演奏した事がある。そして、マイケルと言えばクインシー・ジョーンズ。彼がプロデュースをしてから、ビッグヒットを連発する。そして周知の通り「スリラー」はアルバム売り上げの世界記録を更新し、「ビート・イット」ではエディ・ヴァン・ヘイレンをも起用しロック色を強めた。そしてライオネル・リッチーとの共作である「WE ARE THE WORLD」、2月のLIVEでチャレンジしようかと思い試みたが挫折してしまった。今日の午後のラジオは彼の突然の死により、追悼番組かの如く、マイケルのナンバーが流れ続けた。
レコーディング中のマイケル。ビッグアーティストにもかかわらず、ナイーブで謙虚さが伺える。


http://www.youtube.com/watch?v=J0IweJ0g39I&NR=1


http://www.youtube.com/watch?v=aSqo17o2a1w&feature=related


http://oyajibeya.exblog.jp/

母が転院した日の訃報。
僕は生涯、忘れないだろう。
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2009年06月26日

フレディ&エリック

Freddie King.jpg秘蔵写真発見。ブルースの巨匠フレディ・キングがエリック・クラプトンを帯同してのツアー中の写真だ。その懐かしさに耐えきれず、You Tubeを徘徊する。熱心に聴き入っていたのは、高校時代。当時は映像もなく必然的に、LPに針を落として耳で聴き感動するしかなかった。音だけで聴くのと映像を伴って聴くのとでは、自ずと伝わるものが違ってくる。当時はレコーディングミュージシャンがそのままLIVEで演奏する事が多々あったようだ。クラプトンもレコーディングに参加し、そのままツアーに帯同している。フレディの特徴が顕著なのがキーボーターとのリフの応酬だ。ピアノとオルガンがバトルの如く、フレディの奏でるフレーズに絡んでくる。画像でチェックして気づいたのが人差し指と中指のスティール製フィンガー・ピックと親指のプラスティック製サム・ピックだ。30年以上経過しての新たなる発見。そう言えばマディ・ウォーターズもフラット・ピックは使っていなかった。耳だけでは決して判別出来なかったのは僕の勉強不足か。

母が大腿骨骨折で入院をしていたが、明日(厳密には今日)転院する。それを機に久しぶりに家族が集合するかと思いきや、FM時代からのビジネス・パートナーから電話が入る。先日も打ち合わせをしていたのだが、Misiaが8月1日〜2日、淡路夢舞台野外劇場でコンサートをする。「どうしても手が足りない、サポート頼む」との依頼だった。当日は淡路島では一番盛大?な夏祭りが開催されている。両日ともそれにバッティング。混雑が予想されるため、警備上の問題から会場導線等を県や地元警察との折衝に明日やって来る。おまけに当日は現地スタッフとして動員されるハメに。実はSASAやんから他人事のようにこのコンサートの事を聞いていたが、まさか我が身に降りかかってくるとは。

はっきり言って彼女の歌はあまり知らない。

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2009年06月25日

5人目のZEPPELIN

led-zeppelin-colour31.jpg次男のバンドの事が気になったので愛弟子真太郎と電話。親同士が同級生で息子達が同じバンドを組む。通常では考えられない話が具現化している。すでに顔合わせは終え、来週早速スタジオに入ると言う。しかし真太郎はかなりマニアックだ。世代を跨いでいる僕と対等に音楽談義が出来る。いきなりが「バンド名決まりました、Fragileです」、「おい、それってYESのアルバム名やん」、「はいパクりました」。そこからは往年の70年代サウンドの話に突入。プログレからハードロックの世界に入った真太郎。「スティーブ・ハウにリック・ウェイクマン好きなんですよね」、その後は湯水の如く懐かしい名前が連発された。当然三大ギタリストも。当初真太郎はZEPPELINの信者だった。ただ僕のレッスンでJEFF BECKをYou Tubeで見せてからは、天才女性ベーシストのTal Wilkenfeldのプレイにはまっている。 You Tubeでかなりタルのフレージングをコピーしているようだが、「あいつは難しいです」と。以前真太郎が一曲だけ僕の曲をコピーして練習に参加した事を思い出し、急にZEPが脳内を駆けめぐった。2007年のZEPの復活ライブ、昔の面影をのこしているジミーとロバート。プロデューサー兼アレンジャーで自身のレーベルを持っているジョンはフツーのオジサン風、そしてドラムはジョン・ボーナムの息子ジェイソン・ボーナム。、それはまさに世代を超えた画期的なライブだった。
いまや自らが2児の父でもあるジェイソンは、偉大な父の後継として一夜限りとはいえ5人目のツェッペリンたりえるには、即興で叩くわけにはいかず、相当の時間を要するだろうと覚悟したという。だが、そんなジェイソンの不安は意味をなさなかった。

リハーサルではまず1973年『聖なる館』から “ No Quarter ” をジャム・セッション。そして1975年『Physical Graffiti』から “ Kashmir ” の砂漠のキャラバン行進を叩いたとき、3人のツェッペリンは思わず演奏を中断。ジミー・ペイジが「ハグしてもいいかい?」ロバート・プラントは「雷(ジョン)の息子よ!」と絶賛したという。リハが終り最後に3人のツェッペリンはジェイソンにいった。
「次に集まるとき、君は5人目のツェッペリンだ」

音楽に世代の垣根はない。
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2009年06月21日

あっきゃんと直也

akkyannnaoya 002.JPG昨夜、それも深夜に2階の次男直也の部屋から、ギターの音が溢れて来た。思わず2階へ駆け上がる。まだ暗譜が出来ていないと言いながら「はっぴいえんど」の「風をあつめて」を弾いていた。極めて音が飛ぶ楽曲だが、それを滑らかに弾いている。彼がギターを本格的に始めたのは去年の10月頃だ。受験勉強の息抜きタイムに、ただやみくもにコードをかき鳴らしていた程度だった。それが半年の間に綺麗なフォームで弦を捉えている。その力量をみて貰うために、急遽あっきゃんに来て貰う。「緊張するわ」と言いながら「風をあつめて」を弾き出した。そして演奏終わりであっきゃんが、「上手いやん、将来が楽しみや、もうオヤジより遙かに上手い」と。確かに僕のレベルは遙かに超えている。ベースにしても弟子の真太郎にはすでにテクニック的には抜かれている。若さは羨ましい。二人とも指が柔らかい。次男は新たなバンドでギター&ボーカルを担当する。あっきゃん曰く「美味しいところ持っていくなぁ」と。そして8月のライブに向けて、エレキが欲しいと遠慮気味に言い出す。あっきゃんがすかさず「FENDER JAPANのストラトでエエんちゃう」と。本人はバイトして金を貯めギリギリ間に合うかなとずいぶん悩んでいたようだった。「立て替えして、買ったろか?で、バイトして返して」と言うとあっきゃんが、「オヤジは甘いなぁ」と。確かに甘い。ただ僕にすれば3人の子供の中で唯一バンドにチャレンジしようとしている次男にはついつい手を差しのべたくなる。そしてあっきゃんが徐にFENDERのクラッシックビンテージのストラトを持ち込む。それを手にした次男は「弾きやすい」と感動する。すかさず「そのクラスはCD出して、金稼いでから買うことやな」と。おまけに「ベースしたら?」と。どうやらあっきゃんはWAVEのベースを次男に託すつもりでいるらしい。まるでZEPPELINのジョン・ボーナムの世界だ。あっきゃんからお墨付きを貰った次男は、「真剣に頑張ろう」と呟いた。そしてあっきゃんが帰り際に残した言葉は「ところで君は彼女はおるんか?」。ついに出たあっきゃんの18番。「いえ、いません」と体裁が悪いように返答する次男。「音楽も大事やけど彼女も大事やからな、両方頑張りたまえ」との言葉を残してあっきゃんが帰っていった。入れ違いで別れ?を告げに帰宅した家内が「ギターどうなった?立て替えとこか?」、夫婦して同じ事を口走った。「あの子は癒し系やから」と常々口にする家内。夫婦二人して甘やかせているのだろうか??

「早く帰って曲を作らないと」と言いながら2時半のバスに飛び乗った。
京都まで4時間の道のり。
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EAGLES

eagles.jpg昨日のホームチャーチで、突然迷惑をかけてしまった典ちゃんにお礼の夕飯を招待した。そして、夕刻、何気なく今日の日付を見ると、何とSASAやんの誕生日、ついでと言ってしまえば申し訳ないが、彼女も誘い3人で居酒屋へ行くも満席、仕方なくお好み屋での慰労会と祝賀会になった。その席にてSASAやんからショッキングなリアクションを貰う。実は僕も彼女もB型で五黄土星の霊合星人である事が発覚。「え〜、谷さんと一緒ですか?!」と驚嘆される。「嫌なんか??」、「いえ、でも私そんなに目立ちたがり違うしetc」、奇妙な会話が、お好み焼きを挟んで飛び交う。「B型は芸術家が多いよな」と典ちゃんがフォローするが、女性二人の視線はどうも蔑視しているようにしか感じられなかった。
B型と言えば昨日帰省した次男もB型だ。家族に顰蹙を買っている僕の長髪も次男だけは容認してくれている。そしてその次男がついにオリジナルバンドを京都で結成した。ギター・ベース・ドラム・ボーカルの布陣。次男はボーカルを担当する。他のメンバーはすべて年上で、ベースは僕の愛弟子の内藤真太郎と言う男だ。そして火曜日までに新曲を書いてこいとの先輩たちの特命を拝受し、今曲作りに没頭している。その次男が今日偶然車中でイーグルスのCDを耳にし、「ニュー・キッド・イン・タウンと言い出せなくて、エエよなぁ」と呟く。その呟きに思わずうなずく。「俺と感性が似てるわ」と思わず返答する。2曲とも僕のお気に入りだ。世代を飛び越えて同じ嗜好なのは親子であるが故のDNAか?しかし次男の口から「ニュー・キッド・イン・タウンと言い出せなくて」の曲名が出てくるのには驚いた。「デスペラード」は典ちゃんの猛特訓のおかげですでに弾き語りが出来るようになっているが、大抵「ホテル・カリフォルニア」が真っ先に出そうだが、そうではなかった事に、彼の音楽性がみてとれた。イーグルスを語ると長くなってしまうが、WAVEが唯一イーグルスをカバーしたのは、「言い出せなくて」だけだ。オシャレな音使いと重厚なコーラスがかみ合った名曲だ。しかし僕にすれば、ティモシー・シュミットのハイトーンボイスも好きだが、ベーシストとしては、そのライン取りから、ランディー・マイズナーに一票を投じる。「呪われた夜」や「ホテル・カリフォルニア」のベースラインの構成力は魅力的に感じる。ドン・ヘンリーについてはボーカリストとしての力量は凄いが、如何せんドラマーとしては疑問符がついてしまう。レコードのライナーノートにさえドン・ヘンリーのドラマーとしてのテクニカルな部分が指摘されている。通常賛辞だけが記述される、ライナーノート。そのライナーノートが、、、。ギタリストについては先述したが、ドン・フェルダーとジョー・ウォルシュへの依存度が高い。特にアコースティックバージョンの「ホテル・カリフォルニア」を聴けば二人の力量が顕著に伺える。とにかくもビッグヒットを連発したスーパーバンド「Eagles」。再結成後何やら訴訟騒ぎになっているのが気になる。

イーグルスと言えばナイスミドルでグランプリを獲得した「メイドインジャパン」が甦る。
そのメイドインジャパンさんからメールと電話を拝受。
ありがとうございます。
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2009年06月20日

アクテムラ

hyougoikadaigakubyouin.jpg東京医科歯科大学医学部付属病院の宮坂教授から診療情報提供書が届いた。紹介先医療機関は兵庫医科大学膠原病・リウマチ内科:佐野教授となっている。
傷病名/関節リウマチ(ClassU、StageU)
紹介目的/生物学的製剤による加療
症状・治療経過および検査結果/淡路島在住の関節リウマチの方で、神戸の医療機関にて受診中ですが、治療経過が思わしくないとのことにて私のところを紹介受診されました。現在、手足関節に活動性の関節炎を認め、肺には両側に大きなブラと軽度の肺線維症を認めます。本例は生物学的製剤、ことにアクテムラの適応があると考え、先生のところに紹介をする次第です。よろしくご高診下さい。

以上のような内容だった。この紹介状を持って、22日、兵庫医科大学の佐野教授の診察を受ける。僕の手足の関節には悪玉サイトカキンと呼ばれるものが増殖している。そのため軟骨が消失し骨がぶつかり合い変形をきたしている。アクテムラはこの悪玉サイトカキンを殺傷する効能を持っていると言う。夜毎リウマチをネットで検索していると、この疾病にはかなり詳しくなってしまった。アクテムラの投与による回復度は80%。その80%に入る事が出来れば幸いだ。しかし医療機関によりこの疾病に対する治療法がかなり異なっていることに気づいた。整形外科系では、手術を試みるが、内科系では薬剤投与で治療する。そしてこの疾病の原因は未だに解明されていない。ネットでは「死には至らない難病」と記載されているサイトもあった。友人の一人に「素早い。観た(TV)、行った(東京)、治ったやな」と言われた。その友人の「治った」の一言を信じるしかない。

http://www.alpsapfel.com/riumati/

次男が帰って来た。
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2009年06月19日

Lately

seisyo.jpg昨夜突然叔母から電話があった。今日叔母宅で開かれるホームチャーチで僕はアメージング・グレイスを弾く事になっていたが、「何か素敵な曲をもう一曲弾いて」とのオーダーだった。突然の事だったが承諾してしまい、自室にあるピアノ譜をめくる。一夜漬けで弾ける曲はないか?探しに探しまくったが、とても手に負えるようなのがない。そこで、過去に自分たちが練習した曲の楽譜をめくり、Latelyを見つけた。アメージングでさえ心許ないのに、追加オーダーをこなすのは至難の業だ。約3時間、弾き続けただろうか?何とか楽曲になってきた。今朝4時に就寝する際、家内に「8時に起こして、ピアノの練習するから」と頼み入眠する。そして8時に起こして貰ったが、「わかった、起きる」との返事だけで再度寝込んでしまう。そして起きたのが11時、「ヤバい」、ピアノを弾く間がないと思いながら、SASAやんに借りたエレピを叔父宅に運び入れる。そして電源を入れるや否や、練習を開始。それを聴いていた叔母が「賛美歌も弾いてくれる?」と無茶な事を言い出した。楽譜をみたが前奏もなければ後奏もない礼拝用の簡略譜だった。すぐさま「僕には無理、ちょっと待って」と言い典ちゃんに助っ人を要請する。典ちゃんは予感があったようで午前中何度か連絡をくれていたが、爆睡中のため気づかなかった。そして娘が11時から典ちゃんにレッスンを受けており、12時過ぎに「もう電話がないという事はきっとお父さん大丈夫なんやわ」と娘と会話していたらしい。しかし、最終的には典ちゃんの予感に応える事となった。自転車で急遽駆けつけてくれた典ちゃんは、すぐさまオルガンの音色で練習を始める。さすがピアノ講師、3曲をものの10分でモノにしてしまった。そしてホームチャーチが始まる。いきなりの賛美歌演奏。前奏がないのでいきなり歌が被るのかと思いきや、1番が丸ごと前奏になってしまい、やっと歌が入る。さすが「女は度胸」だ。外連味なく3曲を弾きこなす。それを聴いていてふと思いつく。「典ちゃんが来ているのに、僕がアメージングを弾く必要はない」。即座にそれを典ちゃんに伝えるとちゃんと楽譜を持参していた。以心伝心とはこの事だ。そしてコーヒーとケーキでの懇談時に、叔父が失礼な事を言ってしまった。「典ちゃんはケーキ一つじゃ足らんな」、と大声で。思わず僕も「うん、足らんよ」と大声で。何という一族だ。そしてティータイムが終わり典ちゃんがアメージングを弾き終える。22名から大きな拍手。そして僕のレイトリーを聴くことなく帰って行く。僕はと言えば「もうやけくそ」の心境でまず、スティービー・ワンダーの偉大さを語る。そして演奏へ。「無難にこなせている」そう思いながら、思いっきり強弱をつけて酔いしれる。その瞬間叔母が耳元で「音量が大きいよ」と囁く。一気にテンションが下がり、一カ所間違えてしまう。しかし開き直りの精神で、適当にアドリブでオブリガードを差し込みながら弾き終える。弾き終わった瞬間牧師さんが突然歩み寄り手を差しのべてくれた。「終わった」、と安堵の胸を下ろす。しかし、当初は僕が2曲弾くはずだったホームチャーチ。しかし結局は典ちゃんが4曲で僕が1曲。当分典ちゃんにアドバンテージを取られた格好になり、食事を奢る事になった。

初めてのホームチャーチライブ?
新教会お披露目の席にWAVEが招かれそうな予感がした。
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2009年06月18日

神戸〜東京〜千葉〜岡山

tokyo 008a.JPG15日、14時過ぎの新幹線にて東京へ。車中では明日に控えている膠原病の権威宮坂教授による診察に期待と不安を交錯させながら、持ち込んだ本に目を通すが、明日のことが気がかりで、集中できないまま東京駅に降り立つ。八重洲北口を出た途端の豪雨に、駅構内に引き返し夕食を約束している同級生の到着を待つ。そして19時、ついに合流し真新しくなった大丸のレストランへ。約2時間、お互いの近況報告がメインだが楽しい夕食の時間を過ごす。そして明日の診察への励ましを受け、21時にホテルにチェック・イン。しばらくテレビを観ながら時間を潰すが、明日の疲労を考えて早々に就寝。しかし深夜、2時に目が覚める。その後はまどろみ状態で朝を迎える。朝食を摂り直ぐさまタクシーで東京医科歯科大学付属病院へ。
受け付けを済まし、診察待合室へ。待つこと約1時間、名前を呼ばれ予診室へ。紹介状と照らし合わしながら、聞き取り予診を受け、血液検査・レントゲン・呼吸器検査へと回される。検査が終わったのは午後2時、再度診察室にてじっと待つ。その時気づいたのだが、僕と同じようにキャリーバッグ姿の患者が多数見受けられる。テレビを観て僕同様遠路から足を運んだ患者のように思われた。そして、テレビで観た宮坂教授が時折患者の名を呼びに診察室のドアを開け顔を覗かせる。そして、いよいよ僕が診察室へ呼ばれ、教授による診断が下される。見せられた手足と肺のレントゲン写真、それを観ながら宮坂教授は、その進行度を指摘してゆく。そしてこれまでの服用薬では、悪化の一途を辿るとの事。すぐにでも生物学治療を始めないと、進行が加速度的になるとの指摘を受け、地理的条件から、即刻兵庫医科大学付属病院の佐野教授のもとへ行く事を薦められ、紹介状を書いて貰う。肝疾患がある事は承知の上で、副作用を最小限に抑える治療を施される事になった。そして病院を出たのが17時。その夜泊めて貰う同級生夫婦の家(千葉県野田市)へは22時に行くことになっているので、喫茶店で時間を潰す。しかしそれも1時間が限界。仕方なく山手線で上野に向かい常磐線で柏駅へ。そこでも喫茶店で時間を潰す。そして東武野田線に乗り野田市駅へ。到着時刻は21時15分。約45分突然の雷雨を凌ぎながら駅で同級生を待つ。そして22時きっかりに同級生(夫人)が迎えにやってくる。直ぐさまお邪魔し手料理の歓迎を受ける。そして一番風呂に入れて貰い、旦那が帰宅するまで、高校時代の回想から近況までを語り合う。そして午前3時、旦那が帰宅。
疲れ果てているにも係わらず晩酌をしながら約1時間会話ははずむ。そして4時過ぎに就寝。朝7時に「谷、じゃぁ行くわ、頑張って治して又会おうな、東京来たら必ずうちで泊まれよ」との言葉を残して出勤して行った。その後は、夫人とともに朝食。
tokyo 007a.JPGそして近くの「桜木神社」に参拝。昨夜彼女の口からその神社の存在を知らされ、ボーカルの「桜木勇喜」、ゆーさんの事もあり是非参拝しなくてはと思っていた。参拝後、夫人の運転する車で「流山」の駅へ。新撰組局長近藤勇が下山し、捕縛された所だ。そして夫人に別れを告げ、再会を約束して電車に飛び乗る。正午東京駅、東京勤務の長男と食事を共にし、長男と別れ新幹線に。その頃はもう2日続きの睡眠不足でふらついていた。発車後、すぐに爆睡。そして目を覚ませば窓の外は「新神戸駅」、急いで下車を試みるが無情にものぞみは動き出した。しかたなく、「岡山」へ。そこで乗り換え「新神戸」に戻る。その旨を典ちゃんに電話で伝えると爆笑していた。帰宅したのは21時、しかし実りのある3日間だった。

新たな治療が兵庫医科大学付属病院で始まる。
同級生の「絆」を再認識した東京行脚。
アメージング・グレイスの練習は明日一日だけになってしまった。
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2009年06月15日

ついに上京の日

N700.jpgいよいよ12時間後の新幹線に乗り、東京医科歯科大学付属病院へと向かう。その前夜、同級生5人(ちょい悪オヤジ集団)が集まり、夏に向けてのイベントを企画したが、結局結論に至らなかった。僕の友人がカメラに凝っている。そして独自のHPをUPさせて更新している。そのネタを提供するために、我が家に眠っていた蓄音機と中一時代に購入したPETRIのカメラを持ち込み、友人が蓄音機とPETRIを撮影するためシャッターを押しまくる。又、もう一人の友人は、最近レトロに凝っており、我が家に眠っていた蓄音機を持ち帰り、「絶対修理してみせる」とハイテンションだった。大学病院での診察には一縷の望みを抱いている。結果はどうなるかはわからないが、もはや神頼み。

宮坂教授の診断にすべてを委ねる。
アメージング・グレイスの練習に残された時間は18日のみ。
posted by WAVE at 01:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする