
15日、14時過ぎの新幹線にて東京へ。車中では明日に控えている膠原病の権威宮坂教授による診察に期待と不安を交錯させながら、持ち込んだ本に目を通すが、明日のことが気がかりで、集中できないまま東京駅に降り立つ。八重洲北口を出た途端の豪雨に、駅構内に引き返し夕食を約束している同級生の到着を待つ。そして19時、ついに合流し真新しくなった大丸のレストランへ。約2時間、お互いの近況報告がメインだが楽しい夕食の時間を過ごす。そして明日の診察への励ましを受け、21時にホテルにチェック・イン。しばらくテレビを観ながら時間を潰すが、明日の疲労を考えて早々に就寝。しかし深夜、2時に目が覚める。その後はまどろみ状態で朝を迎える。朝食を摂り直ぐさまタクシーで東京医科歯科大学付属病院へ。
受け付けを済まし、診察待合室へ。待つこと約1時間、名前を呼ばれ予診室へ。紹介状と照らし合わしながら、聞き取り予診を受け、血液検査・レントゲン・呼吸器検査へと回される。検査が終わったのは午後2時、再度診察室にてじっと待つ。その時気づいたのだが、僕と同じようにキャリーバッグ姿の患者が多数見受けられる。テレビを観て僕同様遠路から足を運んだ患者のように思われた。そして、テレビで観た宮坂教授が時折患者の名を呼びに診察室のドアを開け顔を覗かせる。そして、いよいよ僕が診察室へ呼ばれ、教授による診断が下される。見せられた手足と肺のレントゲン写真、それを観ながら宮坂教授は、その進行度を指摘してゆく。そしてこれまでの服用薬では、悪化の一途を辿るとの事。すぐにでも生物学治療を始めないと、進行が加速度的になるとの指摘を受け、地理的条件から、即刻兵庫医科大学付属病院の佐野教授のもとへ行く事を薦められ、紹介状を書いて貰う。肝疾患がある事は承知の上で、副作用を最小限に抑える治療を施される事になった。そして病院を出たのが17時。その夜泊めて貰う同級生夫婦の家(千葉県野田市)へは22時に行くことになっているので、喫茶店で時間を潰す。しかしそれも1時間が限界。仕方なく山手線で上野に向かい常磐線で柏駅へ。そこでも喫茶店で時間を潰す。そして東武野田線に乗り野田市駅へ。到着時刻は21時15分。約45分突然の雷雨を凌ぎながら駅で同級生を待つ。そして22時きっかりに同級生(夫人)が迎えにやってくる。直ぐさまお邪魔し手料理の歓迎を受ける。そして一番風呂に入れて貰い、旦那が帰宅するまで、高校時代の回想から近況までを語り合う。そして午前3時、旦那が帰宅。
疲れ果てているにも係わらず晩酌をしながら約1時間会話ははずむ。そして4時過ぎに就寝。朝7時に「谷、じゃぁ行くわ、頑張って治して又会おうな、東京来たら必ずうちで泊まれよ」との言葉を残して出勤して行った。その後は、夫人とともに朝食。

そして近くの「桜木神社」に参拝。昨夜彼女の口からその神社の存在を知らされ、ボーカルの「桜木勇喜」、ゆーさんの事もあり是非参拝しなくてはと思っていた。参拝後、夫人の運転する車で「流山」の駅へ。新撰組局長近藤勇が下山し、捕縛された所だ。そして夫人に別れを告げ、再会を約束して電車に飛び乗る。正午東京駅、東京勤務の長男と食事を共にし、長男と別れ新幹線に。その頃はもう2日続きの睡眠不足でふらついていた。発車後、すぐに爆睡。そして目を覚ませば窓の外は「新神戸駅」、急いで下車を試みるが無情にものぞみは動き出した。しかたなく、「岡山」へ。そこで乗り換え「新神戸」に戻る。その旨を典ちゃんに電話で伝えると爆笑していた。帰宅したのは21時、しかし実りのある3日間だった。
新たな治療が兵庫医科大学付属病院で始まる。
同級生の「絆」を再認識した東京行脚。
アメージング・グレイスの練習は明日一日だけになってしまった。